支那事変勃発直後の中国大亜細亜協会の緊急親日宣言
- 2023/06/14
- 16:04


1937年7月の支那事変勃発当時、中国各地方分離独立の一環として河北政権樹立を目指す勢力としては日本軍部の完全傀儡である冀東防共自治委員会と、齋燮元、高凌霨等中国大亜細亜協会の成員が多くいる冀察政務委員会があったが、前者の冀東防共自治委員会は「通州事件による日本人大虐殺」を起こし崩壊した。
一方で、中国大亜細亜協会は支那事変勃発の緊迫した状況に対応するべく次の宣言を発表した。当時、反日、侮日、抗日意識がもっと旺盛であった中国でも日本と共に歩もうとする者が少なからずいたことの証明でもある。
以下は、現地で中谷武世も翻訳の参加したその宣言文で、
①国民党の抗日政策が必ずや中国と東亜を誤る②南京政府は、共産党及びその他外国の傀儡
③日本は決して侵略の意図なきこと
を明確に宣言した。
中国大亜細亜協会時局宣言
(華文邦訳・「大亜細亜主義 昭和12年9月号」巻頭文)
「亜細亜に対する西力未だ去らず、更に近時共産党の暴威愈々猖獗ならんとする秋に当たり、中日両国に兵火を見るに至れるは真に遺憾とする所なり。国民党の抗日政策が必ずや中国と東亜を誤るの日あるべきは吾等の夙に深憂せる所なりき。国民党の政権把握以来民を苦しめ国を誤り、更に軽々隣邦と事を構えて民政を途端に苦しめ毫も顧る所なし。今日の南京政府は、共産党及びその他外国の傀儡にして真に中国人民自らの政府に非ず。
今回の事変は禍を転じ福となし、東亜禍乱の根源を伐採し、人民の意思を尊重する真に「中国人の中国」を建設するの好機なり。我国は五千年の文化の国なり。必ず道を以て立国の基礎とせざるべからず。故に吾人は先ず華北の地に初め、漸次これを模範として全国に及ぼさんとす。河北自治の建設は中国再建の前提にして又亜細亜建設の発端なり。
鄰邦日本は決して侵略の意図なきことは日本政府の縷々宣明する所なり。吾人は善隣の道を確信して茲に自治建設の道に就かんとするに当たり、時局に対する方策大綱を決定する所あり。左の如し。
一、共産党排斥、東亜防共協定の設定
二、国民党排撃、河北自治体制の確立
三、在野経済合作の実現
四、中日共同文化機関の設立」