「アイヌ」は絶対に先住民(=北海道縄文人)ではない!【根拠1アイヌが縄文文化を継いでいない】①漆(うるし)は日本を代表する工芸文化だが、世界最古の漆製品は約9000年前の函館出土のものを始めとして、北海道中の縄文遺跡から出るにもかかわらず、アイヌは漆の技術を持たない(北海道アイヌ文化センター)。
②北海道の縄文遺跡からは帯広で10000年以上前の日本で最古級のものを始めとした本州と様式がつながる一級品の縄文土器が膨大な数(遺物数十万点)が出土するが、アイヌはその土器文化を継いでいない。
【根拠2 北海道で出土した縄文時代人骨の遺伝子が西日本人と同じでアイヌのものではない】①「礼文島 船泊遺跡」は縄文時代中期~後期(約5500年前~約3500年前)の日本列島最北端の縄文貝玉作りの村で新潟縣糸魚川産のヒスイ大珠も出土した交易センターであったが、そこで出土した人骨の遺伝子を国立科学博物館人類研究部の神澤秀明研究員がゲノム解析するとY染色体ハプログループではD1a2b1(D-CTS220)が検出された。
それはアイヌのとは違う本州の日本人のものと同じであった。
②近年遺伝子の全ゲノム解析が可能となり、同じ神澤秀明研究員が、現代青森県人の全ゲノムを解析したところ、驚くべきことに、その縄文基因の遺伝子としては「東縄文人(=アイヌ)」のものが無く、「西縄文人(沖縄・本州人が共有するもの)」があったというのである。
縄文時代を通して、北海道と東北は同じ文化圏であったから、その時の縄文人がもしもアイヌ人であったとしたら、現代の青森県人の全ゲノム解析に検出されないというのはほとんどあり得ない。
【考察】①合理的に考えれば、一万年前から千数百年前まで北海道には本州と親縁関係の縄文人が住んでいて、その頃アイヌは少数北海道に居たか、千島列島か樺太等に居たとするしかない。
②百歩譲って北海道の縄文文化は本州系縄文人とアイヌの両方が担っていたと考えると、自然に「アイヌは先住民ではない」ことになる。
③北海道の縄文人のほとんどは、親戚である本州東北の縄文人が縄文文化を捨て稲作文化に変わる時、農地開墾、集約農業作業のために東北へ移住したと考えられる。
④アイヌ人は縄文人が稲作農民になるために東北へ南下移住した後に、北海道へ侵入したと考えられる。
【結論】 遺物の発掘状況、人骨の遺伝子解析、アイヌ文化と縄文文化の違いを総合して考察すると一万年以上前から本州の縄文人が北海道の縄文文化を主導したのは明らかである。
したがって、現代アイヌ人が「先住民」であるとするのは間違っている。
アイヌ人は、縄文人が本州へ南遷したあと北海道へ侵入したが、むしろ暴力でそれを助長させたという可能性を考えなければならないかもしれない。
以上です。
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