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愛知の慰安婦像展示について意見を述べます

愛知の慰安婦像展示について意見を述べます
 
批評の大前提
ある創作物、特に藝術と呼ばれるものに関して批評(批判や評価)、解説を行うということの大前提は、以下について判断するということです。
 ①その作者について →家族、生い立ち、民族、宗教、思想信条、性格
 ②その題材について →何を何の目的で
 ③その表現手法について→何をどの様に用い、動かして作ったか
 ④その時代背景について→どの様な思潮背景で、作品が何処に位置づけられるか
あり得ないですが、上記について反対意見がある方はしてください。(芸術について研究又は実践していない方の反論は無効ですのでご遠慮ください=悪意ではないです)

大前提における今次の問題
今、「慰安婦像設置の表現の自由」を言う人は③のみを強調し、あたかもそれ以外を自己の主張の正当化の為に無意識または故意に無視しています。
ですから、彼らの主張はとても公平・客観的なものとはいえず、一っ種の自己的なプロパガンダですから説得力はありません。。

私の愛知の今回の作品に対する試論
 試しに、慰安婦像が生まれた原因のほんの一部の一部だけを以下に論じてみます。
 慰安婦像は上記の①~④全般において明らかに朝鮮民族固有のスタイルを具有していますので、慰安婦像制作に至る、朝鮮民族の歴史的経緯で涵養された民族精神を語らなければ、その本質を知ることが不可能ということになります。そこで先ず①に関わる部分の歴史的に醸成された朝鮮民族の思考傾向から述べてみます。

 朝鮮民族が人種的にも文化的にも漢民族の影響下にありその辺境に位置していることは間違いがありません。
 良く知られているように、中国では中華思想、儒教的事大主義が社会秩序安定のための善であると信じられ強制されてきました。だからかの地では大人(上流階級)は小人(庶民)を打たなければらず、周辺異民族の名称にはケモノへんを付けなければならず、絵では大人は小人より大きく描かなければなりませんでした。社会制度だけでなく個人名も、本来あった民族固有名を捨て、中国風の趙、張、高、金、安、崔、李などの漢民族風の名前に完全に変えてしまいました。また、継続的に中国の貴人に自民族の美女を贈ったり、中国皇帝後宮の宦官になる男性を提供したというように民族のアイデンティティーを自ら喪失するように努力してきました。
 中国の辺境で獣扱いされないために事大主義・華夷思想の忠実な僕に徹しようとした半島人の事大主義・華夷思想は本家より更に硬直的で強烈となり国家・個人の処世、運営の基本となり国内では両班と庶民・奴隷間の強烈な差別、対外では、自分たちより中華から遠く中華圏に入らない日本を自己より下とする差別などを歴史的に維持しました。
 ところが日本が明治維新で変わり、古い宗主国の清朝と新しい宗主国候補のロシア帝国両方を戦いで破ると、事大主義に忠実に日本を次の宗主国としようとしました。しかし、日本は中国と違い、朝鮮人を日本人と同等の水準まで引き上げようとし、収奪するどころか全てを与えるよう努力しました。
 事大主義では存在どちらが上か下かが問題とされ平等というのは存在しませんから、朝鮮民族は日本人を名乗りアジア諸国、世界中で大きな顔ができますから喜びながらも、頭の理解・整理ができず混乱していました。
 ところが、日本が大戦で負け、米国に占領され国防力・憲法・言論の自由を奪われ世界中の白人国家の下になり、朝鮮人が併合時代馬鹿にしていた漢民族迄が戦勝国として大人の振舞いをするようになりましたので、新たな大人を探さなければならなくなりました。
 その結果が国民の半島南部のキリスト教への総改宗、米国への臣従、北部のソ連・中国への臣従などの無条件の西欧世界への服従でした。
 そしてそれと不可欠の一対なのが、日本を無理やり自分より下の地位に落とし込めることでした。
 日本が文化・道徳のない非人道の残虐な侵略者で、高邁な朝鮮から全てを奪ったという架空の仮説を設定し、自分が大人で日本が小人であるという体制を実現しなければなりませんでした。
 そのためには領土(竹島)も強奪し(大人であれば小人の物を強奪するのは当然だから)、日本語使用・日本の映画・文学の禁止(小人である日本の物は低劣で害悪だから)等々、実行で大小関係を明らかにしようと努力してきました。
 ところが、真実や実力の差は如何ともしがたく、国際的な日本の評価、地位は韓国・朝鮮より常に上で、相変わらず外国から見ると日本が大人で韓国・朝鮮が小人なので切歯扼腕してきました。
そんな彼らも冷静に日本を見た時、日本が中華皇帝、白人国王と肩を並べるどころか権威的に凌駕する天皇を頂き、白人の世界征服に一国のみで抗し、自己を顧みずアジアの諸国民の強化のために奮迅した事実を知り、自己の小さな精神的器では理解できず、日本精神が放つ崇高な光で眼がつぶれる思いがし、事実を直視できないでいます。
 そのような状況の中で「日本の評価を落とし自己の評価を上げる」「同時にゆすり・たかりで実利を得る」「支配層の庶民搾取体制を延命させる」「日本と韓国を仲たがいさせ社会主義者が漁夫の利を得る」等々一挙両得どころではない一挙五得位の妙案として採用されたのが「慰安婦像」なのです。

 以上、「慰安婦像」創出の民族情緒的動機についてかいつまんで述べてみました。
 
 そこで明らかになった事は、慰安婦像の創出源泉が、半島の方々が自己と日本を比べた場合に感じるあまりにも大きく埋めることのできない民度や歴史の差に基づく卑屈、ねたみ・そねみと、それを許さない中華思想の事大主義、華夷思想の両者の挟撃により生じた巨大熱量を持つ負的心理マグマにあることです。
 ですからそれは、人類普遍の価値を追求、視覚化させる芸術作品などではなく、単なる「民族差別・ヘイト」「当たり屋的ゆすり・たかり」「政治的プロパガンダ」の三要素が合体したものに過ぎないということです。
敷衍して言うならば、世界中に設置された、慰安婦像は人間の持つ「暗黒精神」の表象であるから、人を「不幸」へ誘う(いざなう)魔神像であり、その意味では全人類的問題であるともいえましょう。

結論
自己の利益の為に他者の名誉を棄損する捏造物語(=差別の根源)を視覚・聴覚伝達の手法で制作されたものは当然「芸術作品」ではありませんから、③の「表現」の自由云々をいうまえに、人権侵害、ヘイトの犯罪行為として展示禁止にするのは当然だということになります。

人間の自然な心の発意を殺すプロパガンダ作品をかざることは、作家に予定調和、忖度の創作姿勢を強制し、社会の多様性を貧しくさせます。
だからねつ造のプロパガンダは公的機関に展示してはならないのです。
私は、それを実地体験し、現在でもそれと対峙し批判している者です。

明戸隆浩
社会学者
1976年名古屋生まれ。東京大学大学院情報学環特任助教。AMSEA(東京大学・社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業)スタッフ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。
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ブッダの祖先は、日本民族と同根の可能性が大きい。

ブッダの祖先は、日本民族と同根の可能性が大きい。
最古の仏経典でシャカの言葉をそのまま伝える「スッタニパータ」では自称、他称ともにシャカが「太陽の裔」であることが記されている。訳者の中村元氏の注では、釈迦族が太陽信仰族であること、日蓮などもそこにヒントを得ていること等が記されている。
私は更に一歩理解を進め、我が日本民族の太陽信仰と釈迦族の太陽信仰は同根であると考える。

それは、現在の歴史研究、遺伝子研究の成果とも合致する。
人類の祖先はアフリカを出てから東や北へ拡散し、ユーラシア大陸東端の 列島に至ったのが日本人だ。
知られているように、日本人の男系遺伝子には、最古形のD系統が多くある。AとBはアフリカから出なかったから、日本人の祖先の男系遺伝子D系統民族がアジアの南部東部の全ての先住民族である。※ちなみに漢民族の90%以上はO系統で遺伝子的にはむしろコーカソイドに近い。

人類はアフリカを出てイランの海岸沿いを通りインド亜大陸を横断し、タイの平原を東進し、スンダランド(氷河時代に存在した東南アジア大平原)を縦断し、大東亜平原(氷河時代に存在したユーラシア大陸東端の大平原=今の東シナ海、黄海、渤海に相当)の太平洋岸を北上し、大陸と一部地続き(当時朝鮮半島はまだ存在しない)の日本列島に到り、そこの一番東の茨城(日立)や鹿島に至った。
我々の祖先は、太陽信仰を持っていたので「日の出づる」方向を日々拝み祀るうちに、自然に東進したのである。
人類の太陽信仰の跡は各地に残されていて、例えば中国山東省地域の古代東夷文化など非常に多い。
つまり、釈迦族の遠い先祖と、我が大和民族の遠い先祖は、同じような文化・信仰を持っていたのである。
各地に残り、人種的に混雑し、文化的に発展したのが、現在の南アジア、東南アジアの各民族なのである。
日本民族は最初に東進した人類の遺伝子をそのまま残しているのである。
そう考えると、釈迦が急に身近に思えてくる。

以下、『スッタニパータ』の関連部分を抄出する。
(第三 大いなる章 一、出家 423)
姓に関しては〈太陽の裔〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

(第四 八つの詩句の章 十四、迅速 915)
〔問うていわく、――—〕「太陽の裔(すえ)である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れることと平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執することなく、安らいに入るのですか?」

(第五 彼岸に至る道の章 十八、十六の学生の質問の結論 1128)
かれらは、太陽の裔である目ざめた人・眼ある者(ブッダ)に満足して、優れた智慧ある人(目ざめた人)のもとで清らかな行いを修めた。
以上

松井石根大将のお人柄が最古の仏典に説かれる理想の聖者の姿と重なる

松井石根大将の生涯を、見るたびに、その聖者にも思える人格に感銘を受ける。
私には、最古の仏典に帰される「聖者」の姿に松井石根大将が重なってしょうがない。
所謂A級戦犯として巣鴨で松井石根大将と同室だった思想家の大川周明は松井大将を評して「語黙動静、坐臥進退、凡そ将軍のように微塵も衒気なく、而も挙措自ら節度に叶って居る人は、絶無でなくとも希有である。「何を以て君子と知るや、交情また淡の如とし」私はこの淡如という形容詞は、将軍のために出来た言葉のように思った。私はかような風格の将軍と日夜起臥を偕にする欣びを、獄中で満喫しようとは夢にも思はなかった。」と記した。(大川周明著『安楽の門』⒖頁)大川周明も松井大将にならい毎朝夕「観音経」を読誦し、「ある夜、豁然と法悦の境地に入ることができた。私は初めて、雲霧をひらいて青天に白日を仰ぐが如く、観音の光明を得た」と書いている。
 以下、最も古く釈迦の言葉を直接伝えている部分が多いと言われる『スッタニパータ(経集)』〈『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳(岩波文庫)2010年第52刷版〉の一説を引き、松井石根大将のお人柄を偲んでみたい。

(第四 八つの詩句の章 十五、武器を執ること)
聖者は誠実であれ、傲慢でなく、偽りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪な貪りと慳み(ものおしみ)とを超えよ。(941)
安らぎを心掛ける人は、眠りとものぐさとふさぎ込む心とにうち勝て。怠惰を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。(942)
嘘をつくように引き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることもなく。ふるまえ。(943)
古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。(944)
わたくしは、(索引する者のことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。(945)
バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。彼は一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。(946)
世間における諸々の欲望を超え、また克服しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく思いこがれることもない。(948)
過去にあったもの(煩悩)を枯渇せしめよ。未来には何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものかをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。(949)
名称と形態について、〈わがものという思い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、――かれは実に世の中にあっても老いることがない。(950)
「これはわがものである」また「これは他人のものである」というような思いが何も存在しない人、――かれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。(951)
過酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である。――—動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。(952)
動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。彼はあくせくした営みから離れて、いたる所に安穏を見る。(953)
聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、優れた者のうちにいるとも言わない。彼は安らいに帰し、慳み(ものおしみ)を離れ、取ることもなく、捨てることもない。(954)
 ――—と師は説かれた。
以上、引用した。
プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修

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