戦後インドネシア独立のために戦い死刑となった、興亜専門学校学徒出陣の花機関員の遺書
- 2018/10/21
- 09:22

私の父は戦時中、インドネシアの独立支援を行う海軍特務機関、花機関員として興亜専門学校(現亜細亜大)から学徒出陣した。 責任者で興亜専門学校で講演し学生の志願をも収した吉住留五郎は戦後、独立軍一個師団を率いオランダ軍と戦ったが1948年、東ジャワの山中で戦病死した。 父の同級生の何人かはインドネシアに残り独立戦争に参加したが、オランダ軍に捕えられ不当な裁判で有罪、処刑された。以下に遺書と辞世の句を載せる...
スカルノ大統領が建立した日本人のインドネシア独立英雄の石碑
- 2018/10/21
- 09:09

1945年8月16日、インドネシア独立宣言の前日、宣言起草に参加したのは、スカルノ、ハッタ、スバルジョと日本人の前田精、西嶋重忠と花機関責任者の吉住留五郎であった。 東京港区の青松寺に1958年日本との平和条約締結を記念しスカルノ大統領が、独立に尽力した二人の日本人を顕彰し建立した記念碑がある。以下碑文邦訳 市来龍夫君と吉住留五郎君へ 独立は一民族 のものならず全人類のものなり 1958年8月15日 ...
亜細亜主義者、松井石根大将の退役後のアジア諸国独立への努力
- 2018/10/21
- 09:02

松井石根大将は南京占領後退役すると大亜細亜協会会長としてアジア民族独立への支援を全国で呼びかけていたが、大東亜戦争が勃発すると、アジア民族独立・解放の戦でなければなぬと考え、大日本興亜同盟が改組した大政翼賛会興亜総本部の総裁に就任し、ヴェトナム、フィリピン、インドネシア、インド、ビルマの独立運動を強力に支援した。以下●フィリピンは大亜細亜協会を創立し、ベニグノ・ラモスのサクダリスタ党の独立運動を大...
昭和9年に憲兵隊が入手した「陸軍派閥一覧表」再制作してみたら興味深い事が分かった。
- 2018/10/17
- 19:10

昭和9年に憲兵隊が入手した「陸軍派閥一覧表」が当時の派閥理解に役立つので再制作してみた。昭和9年と言えば2.26事件の2年前、支那事変勃発の3年前で、私の研究主題の松井大将の退役1年前である。憲兵隊にとり陸軍の派閥を把握する事は非常に重要なの信憑性も高いので、以下に気がついた事を列挙する。●皇道派、統制派、少壮急進改革派、清軍派が四大派閥とされている。●清軍派の代表が松井石根大将とされている。●清軍派のみが「...