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記事一覧

明治初期南画家名簿3 「い」の部

い伊草堂 ⑩ 善四郎 群馬 諸派混合伊澤鶴年 ⑩ 九皋 花草 西京 鈴木派伊澤●山 ⑩ 雄司 花草 東京 諸派混合伊藤鴎外 ⑧ 28出雲国 南宗伊藤鶴嶺 ④⑩ 儀平 山水 秋田縣 南宗⑥伊藤儀平鶴嶺と號す羽後國雄勝郡湯澤町に住す沖田富士五郎の男なり弘化四年より學を高橋上總介に受く萬延元年より阿部鶴峯に學び其他小川庸謨乾坤舎如風大江匡邦平田延胤等に随て各種の道を學ぶ伊藤鶴嶺 ⑧ 羽後国 南宗⑥伊東順之助杏逸と號...

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明治初期南画家名簿2 「あ」の部

あ⑥小豆澤亮一碧湖と號す東京府牛込區牛込津久戸八幡町に住す出雲の人小豆澤淺右衛門の男にして嘉永元年月生なり畫を中島來章に學び後安田老山を師として又横山松三郎に就き洋畫の法を學ぶ⑥阿部寅藏柳所と號す下野國の人にして東京府神田區駿河臺南甲賀町に寄留す阿部只右衛門の男にして天保十二年四月十月生なり安政年間より畫を張嵐溪に學び越後羽前岩代常陸等を遊歴し明治四年東京府町會所雇にて亞墨利加桑港博覧會へ出張し米人...

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明治初期南画家名簿1 参照文献

明治初期南画家名簿「南画一覧」山本林松編 馬場白鳳堂  明治11年「改正増補 南画一覧」」大国有誠編  明治12年「現今大日本帝国書画人名表」清水斎刊  明治13年「大日本現在名誉諸大家獨案内」中川編    明治13年④「改正 絵画出品目録」農商務省版 国文社  明治15年「第一回内國繪畫共進會出品目録」小栗秀全編  明治15年「第一回内國繪畫共進會審査報告」農商務省  明治16年③「第一回内國繪畫共...

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南京の虐殺記念館のこと

南京の虐殺記念館のこと南京の芸大の大学院に留学中に現地の若手画家7、8名と一月ほど一緒に研修する機会があった。中国人は宴会好きである。彼らは既に画家として活動している社会人で再研修として大学に来ているので特に楽しそうであり毎昼食が交代でおごる宴会となった。最初の食事で円卓を囲んだとき皆楽しそうであった。日本人は私一人だけである。自己紹介が終わった後、向かいに座っている解放軍にいる画家(中国では様々...

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中国人との討論と元寇

日本の中国侵略と元こう 中国留学時代のことである。自分の論文の中国語訳を町の店でパソコンに打ち込んでもらった時、文字の打ち間違いで小さな口論になった。私も計画の遅れからイライラし少し感情的になってしまい、若干無礼な態度をとってしまった。するとタイピストの女子は「貴方達日本人は中国を侵略した悪人であるから本来は店は歓迎しない。貴方を反中日本人として光明日報の友人に知らせる」などとまくしたてた。私を「...

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二等寝台車での事

二等寝台車での事 二十五年位前の私の中国在住中の体験を日本人と共有するために記します。  中国の二等寝台車は三段ベッドである。見知らぬ乗客同士でも即席の座談会を開き長い乗車時間を退屈せずに楽しく知識見聞を深める良い機会とすることがよくある。 留学時代二等寝台車に乗ったとき、私は最上壇で横になっていた。近くで座談会が始まった。声が大きいので聞く気が無くても声は聞こえてくる。日本人が近くに居るとは知らず...

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二等寝台車での事

●二等寝台車での事 中国の二等寝台車は三段ベッドである。見知らぬ乗客同士でも即席の座談会を開き長い乗車時間を退屈せずに楽しく知識見聞を深める良い機会とすることがよくある。 留学時代二等寝台車に乗ったとき、私は最上壇で横になっていた。近くで座談会が始まった。声が大きいので聞く気が無くても声は聞こえてくる。日本人が近くに居るとは知らずに日本を話題にし始めた。当時江沢民による反日愛国教育・宣伝が最も盛ん...

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蔡元培著作目録

蔡元培著作目录1 蔡元培自述(蔡元培著) 传记文学出版社 民国67 2 中国伦理学史(蔡元培著) 台湾商务印书馆 民国70 3 蔡元培教育论著选(蔡元培,著) 人民教育出版社 1991 4 蔡元培先生全集.续编(蔡元培著) 台湾商务印书馆股份有限公司 民国80 5 中国伦理学史(蔡元培著) 上海书店 1984 6 蔡元培自述(蔡元培, 著) 传记文学出版社 民国56 7 蔡元培语萃(蔡元培, 著) 华夏出版社 1993 8 蔡元培随想录 : 人生的启示(蔡元培, 著) 山西高校联...

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戦前期の日本と中国の作家の合同美術展

戦前期の日本と中国の作家の合同美術展について近代以降の美術家は自己の創作を発表し世間に認められ社会の形成に参加する方法として、展覧会開催を最も多く利用してきた。展覧会には自己のみの個展、数名の同志とのグループ展、外部に門戸を開く公募展とある中で、作家にとりどのような展覧会とどのように関わるか自体が創作スタイルに含まれる重要な課題であることは間違いがない。維新前の日本の文化は主に国を文化の宗主として...

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辛亥革命前後の中国における「中西結合派」の留学先

辛亥革命前後の中国の美術界においては、西欧と中国の技法を合成させようとする「中西結合派」と伝統技法を守ろうとする「伝統派」に分かれた。「中西結合派」は積極的に欧米日本に留学をした。その一部を以下に記す。①欧米と日本へ留学徐悲鴻(江蘇・宜興)、呉冠中(江蘇・宜興)、劉海粟(江蘇・武進)、顔文?(江蘇・蘇州)、呉作人(江蘇・蘇州)、?薫?(江蘇・常熟)、呂斯百(江蘇・江陰、②欧州へ留学李?士(江蘇・武進)、張安治(江蘇・楊...

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プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修