ラマンチャの男でドン・キホーテが歌う「the impossible dream」の歌詞は戦前戦中の日本人の心を表している気がしてなりません
- 2020/04/21
- 09:35
ラマンチャの男でドン・キホーテが歌う「the impossible dream」の歌詞は戦前戦中の日本人の心を表している気がしてなりません。日本の心を取り戻すために戦う同志に贈ります。【溝口訳「かなわぬ夢」】持て かなわぬ夢を戦え 無敵の敵と耐えろ 耐れぬ悲しみを走れ 勇者も行けぬ地を正せ 救いえぬ悪を愛せ 遠くから純潔でやれ 疲れた時こそ届け 届けえぬ星へこれこそが我が道だ、あの星を追いかけるために.....
利他の大精神で、東京大空襲、原爆投下の日本人庶民大虐殺の非を説くべきである
- 2019/03/10
- 19:49
母親から、東京大空襲の経験は少し聞いてきた。 本当に恐るべき大虐殺で、若い男性が殆ど不在で、婦女子・老人が木の家に住む庶民居住区の下町に、焼殺し用の焼夷弾をばらまき1夜で10万人以上を殺したのは、広島、長崎への原爆の死者30万人と合わせて、人類史に残る卑劣な大犯罪だ。 全ては白人優位・有色人種劣位思想のもとでの白人の西進によるアメリカ大陸征服、ハワイ征服、太平洋制覇の帰結としての日本人大虐殺であった。...
戦後インドネシア独立のために戦い死刑となった、興亜専門学校学徒出陣の花機関員の遺書
- 2018/10/21
- 09:22

私の父は戦時中、インドネシアの独立支援を行う海軍特務機関、花機関員として興亜専門学校(現亜細亜大)から学徒出陣した。 責任者で興亜専門学校で講演し学生の志願をも収した吉住留五郎は戦後、独立軍一個師団を率いオランダ軍と戦ったが1948年、東ジャワの山中で戦病死した。 父の同級生の何人かはインドネシアに残り独立戦争に参加したが、オランダ軍に捕えられ不当な裁判で有罪、処刑された。以下に遺書と辞世の句を載せる...
スカルノ大統領が建立した日本人のインドネシア独立英雄の石碑
- 2018/10/21
- 09:09

1945年8月16日、インドネシア独立宣言の前日、宣言起草に参加したのは、スカルノ、ハッタ、スバルジョと日本人の前田精、西嶋重忠と花機関責任者の吉住留五郎であった。 東京港区の青松寺に1958年日本との平和条約締結を記念しスカルノ大統領が、独立に尽力した二人の日本人を顕彰し建立した記念碑がある。以下碑文邦訳 市来龍夫君と吉住留五郎君へ 独立は一民族 のものならず全人類のものなり 1958年8月15日 ...
亜細亜主義者、松井石根大将の退役後のアジア諸国独立への努力
- 2018/10/21
- 09:02

松井石根大将は南京占領後退役すると大亜細亜協会会長としてアジア民族独立への支援を全国で呼びかけていたが、大東亜戦争が勃発すると、アジア民族独立・解放の戦でなければなぬと考え、大日本興亜同盟が改組した大政翼賛会興亜総本部の総裁に就任し、ヴェトナム、フィリピン、インドネシア、インド、ビルマの独立運動を強力に支援した。以下●フィリピンは大亜細亜協会を創立し、ベニグノ・ラモスのサクダリスタ党の独立運動を大...