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朝鮮半島の先住民は縄文人

現代日本語(沖縄方言を含む)の祖語は縄文語(の主流語)と考えられます。
 氷河期時代が終わり海面が上昇し東シナ海・黄海・渤海が海中に沈み所謂朝鮮半島が出来た当時、そこに最初に住んでいたのは日本列島と同じ縄文人で縄文人でした。
 続いて山東半島、淮河・揚子江下流部・渤海湾西岸、東北平原、沿海州などから様々な民族が東遷、南遷をくり返したので、縄文人を半島南端に追いやられましたが紀元前後ころには倭人(縄文人の裔、所謂弥生人)として厳然として勢力をもっていました。
 中国の史書に半島南部の倭人の記載があることや、新羅建国時の三系統の王の一つが倭人で、記紀の任那記事、好太王碑文、縄文弥生土器出土、前方後円墳、古代半島の地名人名、他様々が半島南部が倭人(縄文人の裔、所謂弥生人)の勢力下にあったことの証明が、ありすぎるほどあるので間違いがありません。
 そして、4世紀前半に漢民族の朝鮮半島支配が終了すると同時に、それまで漢人帝国に遠慮していた半島の南北の二大勢力が高句麗と倭(大和)が、半島の主導権をかけて新羅・百済などを属国として従えながら激しく戦ったのは上記の経緯の延長線上にある当然のことであったのです。
 その間小国新羅は、大国の高句麗、日本(倭=大和)の間をずる賢く立ち回り国力を増強し続け、7世紀に全ての民族を裏切り、唐と結び高句麗、百済を滅ぼし、日本の勢力を半島から完全に駆逐したのです。
 ですから、今では半島の縄文人は完全に征服・排除されたので現在の朝鮮人の男系Y染色体に縄文系はほぼ無いが、母系ミトコンドリアには縄文系が多く残り、朝鮮語に日本語に似たところがあるのも当然なのです。
 従って、沖縄に朝鮮人が来るのは、侵略し最終的に沖縄人(=日本人)を沖縄から駆逐する流れなのです。
 それは彼等の遺伝子レベルの方向性なので彼等にとりごく自然なのです。
 同じく中国人が沖縄に来るのも、沖縄人絶滅、民族浄化の遠望を、彼らが意識するしないに関わらず持っています。ですから彼らは今でさえ「【沖縄】など存在しない。【琉球】があるだけだ!」などと平気で言うのです。
https://www.youtube.com/watch?v=G8MJn2B6nyU
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韓・朝鮮民族の歴史系譜。

韓・朝鮮民族の「乗っ取り」「成りすまし」歴史系譜。
①10万年前から1万2千年前までの氷河時代、渤海湾、黄海は陸地で、今の朝鮮半島は凍土平原の高地に過ぎず影も形もなく人も希少であった。
②一方で3万年前には日本列島とユーラシア大陸東海岸部に到達していた我々の祖先のY染色体D系統人は、ここで早くも1万5千年年前には、世界最古の「新石器文化(縄文文化)」を築き先進的な生活をおくっていた。
③1万2千年前に氷河期が終わり海が後退して朝鮮半島が出来でからは、無人に近かったが、一部にいわゆる東夷諸族と縄文人が混住していた。
④8千年前ごろから山東半島と華北平原海岸部の東夷諸族は漢民族の勃興に押されて、朝鮮半島への移住を続けた。
⑤紀元前1000年の周の建国のころ殷商系の漢人が半島へ亡命移住した。以後漢民族の植民地になった。
⑥紀元前3世紀に燕の領地となってからは前漢・後漢・公孫・魏・晋の600年間近く漢民族の正式領地(植民地ではない)で半島南部・東部の雑多な諸部落は属民として中原王朝に服属していた。
⑦その間一貫して、半島南部には「倭人」が居住して優勢な勢力を持っていた。
⑧匈奴、鮮卑、扶余などの北方民族は長年南下をくり返し、漢民族王朝と正面から抗争していたが、日本海沿いの沃祖・濊系の弱小部族は漢民族の領地を避けながら朝鮮半島を南下移住していた。
【初めての韓・朝鮮民族の火事場泥棒の大成功 建国】
⑨西暦316年に、匈奴、鮮卑、姜などの北方民族の大侵入により晋が滅び漢民族は南に逃げ民族滅亡の瀬戸際となった。
その時、朝鮮半島の諸民族は火事場泥棒の最大の好機ととらえ、高句麗が楽浪郡、百済が帯方郡の漢民族都市を侵略し全てを手に入れ建国した。高句麗は元々国家であったが、百済などは全くの火事場泥棒で成りすましの建国であった。
⑩以後、高句麗、百済、新羅(初期の王権は倭人系・漢人系・東夷系・北方系部落の共同)は漢人と漢民族文化をうまく利用して国家を経営した。
 ⑪以上の経緯であるから百済、新羅が大和王朝を大国として敬い人質を差し出して服従し、高句麗がライバルとして半島の覇権を日本と争ったのも当然であった。
⑪今日本人が「高句麗・百済などから朝鮮半島の先進文化をいただいた」などというのは勘違いも甚だしい。
「漢人を伝えた百済人の五経博士王仁」は名の通り、「漢人文化人の王仁が漢民族文化の精華である漢字と儒教を日本に教えた」だけであり大和朝廷が欲したのは漢文化であり朝鮮文化では全くない。
⑫「仏教が朝鮮半島から伝えられた」というのも大嘘である。仏教はインドで発祥し、その梵字経典が中国で漢訳され宗派が成立して、日本に伝わったのである。交通の不便な中でも奈良時代の日本人は危険を冒して中国に渡り、かの地の寺で修業し経典を持ち帰ったのである。
 朝鮮半島は中国や西域・インドの先進文化が日本に伝わる時の「廊下」に過ぎない。文化の創造主でも持ち主でもない。時に運んでくれるが元々彼等の物ではないから「ご苦労様、ありがとう!」と言えば充分なので、恩人として感謝するのはおかしい。
【二回目の韓・朝鮮民族の火事場泥棒の大成功 ライバルを滅ぼす】

韓国人の一部は祖先がツングース(エヴェンキ等)と思っているようだ

新羅語・百済語・高句麗語・加羅語等の古代半島の言葉がどのようなものかは未だに判明していない、現代の朝鮮韓国語の生成過程は分かっていない。
韓国人の一部は祖先がツングース(エヴェンキ等)と思っているようだ。
数年前の韓国のネット記事にロシアのサハ共和国で活動する韓国人教授の手記が載っていたので翻訳してご紹介する。
以下全文。溝口訳。
去る20日放送通信大で開催された‘2010年第11次在外同胞フォーラム’にカン・トクス韓国・沙下(サハ)親善協会会長が演説した。 カン会長は‘ヤクトゥインとエベンキインの人生’という主題で提案を進めた。 以下はその内容要約である。 <編集者 注>

最近ロシアのサハ共和国が上昇している。
世界のダイヤモンド生産量の50%がサハ共和国出土で、石油、天然ガスは開発初期段階で、埋蔵量はロシア全体35%を占める。この国の人口はわずか100万人だけで、南北を合わせた半島の面積の15倍に達するのを考えると大変少ない数字だ。ロシアの様々な行政区域のうち最も広いのは勿論、世界の色々な国家行政区域中でも最も広い。 モスクワが最も神経を多く使う所がサハ共和国という話もある。我が国はLGなど大企業が活動し、サハ共和国もやはり韓国を経済発展のモデルとして見て夢を育てている。だが、サハ共和国は1990年代にはそれほど注目されない所で、私は16年前こちらにサハ韓国学校設立者になったのも、 本当に偶然というほかはない。国内のある大学教授がサハ共和国に何万ドルかを支援するという守れない約束をしたことで縁が始まった。 教授は韓国学校を設立すればそちら学生たちを我が国で研修させるという条件を設けた。ところが教授が突然行方不明になったので、そこの人々が私が学長であった外国語大を探したのだ。事実は今もそうなのだがサハ共和国の人々の韓国に対する期待が大きく、韓国に一度来る夢を大事に持ち続けていたので、背信による失望がより一層大きかった。
とにかくかわいそうな事情を聞いて、説明できない責任感により外国語大学教授とサハ共和国とが交流事業をする、橋渡しの役割をした。 そして今では副大統領になった当時の教育長がその過程を見守っていて私を韓国学校共同設立者で推戴した。
このようにして設立されたサハ韓国学校は他の国家の名前が前についた唯一の正規学校になった。中国が一足遅れで韓国学校を東洋学教に直そうとするなど努力したが効果はなかった。サハ韓国学校では現地の人たちにテコンドー、韓国語、韓国の文化を教え、最初の韓流をまき興した。このような理由が全部ではないがサハ共和国では韓国に対する認識が非常に良く、韓国食が愛されて、韓流の日もある。幸いなことに10年余りの間学生たちと先生の交流関係は持続している。中国と日本は脅威と感じるが、私たちの民族とは攻撃も侵略もしなかったために協力関係を結びたがる。しかしサハ共和国には名誉領事もないので、私が大使館の役割、サハ共和国での代表として紹介されてきた。16年前ドアを開けたサハ韓国学校には250人の学生がいるが、いわゆる英才学校で、入学競争率が6対1に達し、シベリアにおける韓国文化伝播の拠点と認識されている。
サハ共和国ではこの他の意義を発見することができた。韓国語の根源を探すのと関連がある。こちらで10余年間いたので、こちら言語の一つのイン エヴェンキ語を習うことになった。韓国語の起源はどのようであったのか? 誰も答え難い。その生成過程が失われているためだ。 サハ共和国には約40万のヤクート人と4万の私たちの容貌とうり二つのエヴェンキ人が生活している。 驚くべきことにこの4万のエヴェンキ人の言語が韓国語と非常に似ている。
例えばその国での名詞、・、ダイコン、アミ、アキなどは韓国語で石、水、親父、アラ(おじさん)で使われるのを発見することができる。 チャバは韓国語ではよく、こいとくるとに使われる。 家親は一緒にで、アラナランはよちよちで使われる。 エヴェンキ、エベン、ナナイ語などが韓国語の語源と同じでツングース-満洲語から派生したことが証明されている。
我が国は過度にこの国の利権だけを狙おうとする考えを捨てるべきであると言いたい。韓国のイメージが良いが純粋な人々を利用する韓国人がこれを曖昧にしているし、韓国の対外政策も問題だ。例えば途方もない付加価値があるダイヤモンド市場は我が国の高い特別消費税で滞っている。既存国内市場に対する憂慮のために安くダイヤモンドを持ってくることができない。インド、日本、中国などが皆サハ共和国の鉱物市場をうらやましがる。 だが、基本的に適正価格を短期的な市場でなく長期的な協力者関係になることをそこの人々は望んでいる。サハ韓国学校の意義は非常に大きいと考える。 私たちが結んでいる教師、学生交流は持続しなければならない。サハリンには高麗人同胞も5千人が生きている。だが、過度にこれのための政策を広げるのは現地の人たちに悪い印象を与えることとなる。過度に同胞だけを拡大して政策を広げようとするのは下策だ。私たちの民族だけを前に出すのも狭量だ。言語が流れてきた過程をサルピョボミョンエヴェンキ人と私たちの民族は同じ根元から出発したとのことが分かる。 シベリアと我が国は大きく見れば同じおじいさんを持っているわけだ。

旧石器時代の日本・中国・朝鮮を議論する大前提

旧石器時代の日本・中国・朝鮮を議論する大前提】
1万2世年前に最終氷期が終了するまで海水面が100m以上低く、渤海湾・黄海は陸地平原で朝鮮半島は存在せず、ユーラシア大陸東端の小規模な山地に過ぎなかった。日本列島も今より大きく瀬戸内海や東京湾の殆どは陸地で北海道はユーラシア大陸の一部であった樺太と陸続きで対馬や五島列島も九州と一体化していた。そしてユーラシア大陸と九州とは今の対馬の沖で10㎞位を隔てて向かい合っていたが、最寒期には陸橋や氷橋でつながったとも言われている。又今の五島列島の沖も大陸が迫っていた。
【結論】
当時の旧石器人が住んだ地の殆どが今は海底となっている。国土の変化が比較的少ないのが日本列島で、しかもベーリング陸橋の出現で北極海の冷たい海水と隔てられ温暖化した太平洋に面した日本列島に多くの旧石器人が選んで済んだのは当然で、従って縄文に至る遺跡が圧倒的に多く今の朝鮮半島に同時期の遺跡が少ないいのも当然である。

高句麗王の系譜 その2


第三代高句麗王の解無恤の名の由来と考えられる、晋の大貴族の趙無恤の母は身分の低い北狄の翟族出身であったから、同じく北方民族の高句麗人としては親しみがある名であったとも考えられる。
●高句麗が蟠踞した地域は衛氏朝鮮の故地だが、秦初に中原から趙、魏、斉、燕の貴族が亡命や強制労働で移住してきていたから、趙系華人の血が入っていた可能性は多いにある。
●また趙国が匈奴系の騎馬民族と国を接していてすでに前307年に武霊王が騎射、故服を取り入れて戦国の軍事強国になっていて、大貴族の趙無恤自身も戎あるいは翟と言われる空同氏と結婚し5人の息子があったように、北方民族との人種的文化的に混血が進んでいたことも、、趙系の漢人が高句麗においてスムーズに融和しその政権や軍団の一翼を担えた可能性は十分にある。

 いずれにしても、第3代王の「無恤」という名は、高句麗が漢人系や東夷系部落民が混住している地に扶余系民族が南下侵入しそれらを支配して以降も、不断に西方の騎馬民族からの移住、帰服がありありそれらが混住していた多民族国家であったことを示唆している。
プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修

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