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松井石根大将こそが明治維新の後継者であり、アジアの志士である!

松井石根大将こそが明治維新の後継者であり、アジアの志士である!
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ピオ・デュランフィリピン国立大教授
アジアの大亜細亜主義者紹介①
         
 松井石根大将は、明治維新の意志を継続させ、アジア諸民族が民族自立権を獲得する「アジア維新」のために、一生涯をささげました。だから、インド、ベトナム、フィリピン、中国、満洲の救国の志士たちが、こぞって、松井大将が設立した「大亜細亜協会」に参加しました。
      フィリピンの独立の志士 ピオ・デュラン・フィリピン国立大教授の寄稿文
ピオ・デュラン教授が大亜細亜協会の月間会報『大亜細亜主義』第40号(昭和11年8月刊)に「大亜細亜主義運動と比律賓」
と題して寄稿した文を見れば、当時のアジ諸民族の日本への期待が明確に分かります。
以下は抄録です。
「大亜細亜主義は文明と共に古いものである。‥‥。 粗笨なる西洋物質主義の代弁者は、‥‥、是を葬り去らんとして来たのである。然るに二十世紀初頭に於て大和民族の子孫は、全人類を驚倒させる最大の犠牲に於て、西欧侵略の昂潮を阻止したのである‥‥。
 大亜細亜主義の精神が攻勢を見たるは、1905年満洲の広野に於てであった。また1905年5月27日午前三笠艦橋上に東郷提督の「皇国の後輩は此一戦にあり」の信号が掲げられたときは全亜細亜の運命が此の一戦に懸かっている事を亜細亜人は知っていたのである。若し此の一戦に於て東郷提督が敗れたならば、大亜細亜主義は恐らく此の地球上より完全に跡を絶ったであろうと思はれるのである。
 故に大亜細亜主義運動が新生命を持つに至ったのは日本人の犠牲に由るものだと言えるのである。随ってまた今日東洋に於て最も進歩し、また最も強大なる日本が大亜細亜主義運動を指導することは極めて当然であり、また最も適当な事である
 今や比律賓が東亜の独立国足らんとする時にあたり、我比律賓に於ても大アジア運動促進の為に比律賓大亜細亜協会を創立するに至ったのである。我々は日本の指導者の援助により、東亜の最も新しき国比律賓が現に猶ほ西欧の支配‥‥」
ビオ・デュラン
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フィリピン独立を夢見、応援していた松井石根大将

フィリピン独立を夢見、応援していた松井石根大将
 戦前、松井石根大将がフィリピンの民族主義者や独立党(サクダリスタ党)のベニグノ・ラモス氏を支援したことは米国に知られていた。
 戦前既に、ピオ・デュランフィリピン国立大教授が顧問の「フィリピン大亜細亜協会(当然独立支援・本部会長松井大将)」も設立されていた。
 米国に心底恨まれたことは、東京裁判で直接関係のないフィリピン人検事に最も強烈な松井大将死刑要求をさせたことでもわかる。
 ※フィリピンの独立党関係者はほとんどが虐殺された。
 以下は公文書における記載。(※ユダヤ人居住区計画で有名な犬塚惟重海軍大佐は大亜細亜協会の理事で中核メンバーの一人)

●「比律賓独立党首領ラモス氏歓迎茶話会に関する件
(防衛省防衛研究所:海軍省-公文備考-S10-55-4869)
昭和11年4月16日(1936/04/16)
比律浜独立党首領ラモス氏歓迎茶話会
首領ラモス氏の歓迎茶話会を四月十五日正午ヨリ当協会に於て開催、中谷幹事より歓迎の挨拶 犬塚理事よりラムス氏の紹介ありて後ラムス氏より比律浜独立運動情勢につき説明あり、種々懇談を交換して三時半散会した。 当日の出席者左の如し 来賓 比島サクダリスタ党代表 ペニニオ・アール・ラモス氏、同秘書ラモン・パス・クレスポ氏、松井石根陸軍大将、犬塚惟重海軍大佐、福田良三海軍大佐、小林仁海軍大佐、加来止男海軍中佐、直井俊夫海軍少佐、竹藤峰治台湾大亜細協会理事、中谷武世法政大教授、佐藤忠雄外務省情報部第3課長」

以下は、『大亜細亜協会年報昭和9年3月』大亜細亜協会編(大亜細亜協会)昭和9年3月、『大亜細亜協会年報昭和11年4月~15年3月』大亜細亜協会編(大亜細亜協会)昭和11年4月至昭和15年3月から摘録。

●比律賓ビオ・デュラン博士歓迎会
昭和11年6月25日、京橋中央亭にて、比律賓国立大学教授ピオ・デュラン博士歓迎会を開催。松井評議員が挨拶。
P・デュラン、パグワン、松井石根、橋本、犬塚惟重、今岡十一郎、岸井寿郎、角岡知良、今牧嘉雄、福島喜三次、加来、井上靖、佐藤安之助、西田卯八、中原謹司、里屋武夫、下中彌三郎、西原矩彦
●昭和十一年度総会記念大講演会
昭和11年11月17日、総会に続き、明治神宮青年館にて大亜細亜主義講演会が開催。台湾大亜細亜協会幹事台北高商教授佐藤佐、早大教授杉森理事、満洲国大使館干静遠参事、比島国立大学ビオ・デュラン教授が講演。松井会頭挨拶。満洲国教育映画協会より提供の映画「亜細亜の暁」を鑑賞。
●比律賓ラウレル博士歓迎会
昭和12年4月19日、京橋中央亭にて、比律賓国立大学教授、前比島内務長官ラウレル博士の来朝の歓迎会を開催。松井会頭が歓迎挨拶。
ラウレル博士、松井石根、白鳥敏夫、鹿子木員信、佐藤安之助、酒井武雄、半田敏治、今岡十一郎、西田卯八、下中彌三郎、西原矩彦、中谷武世
●比島ヘラルド紙主筆M・フアロラン氏歓迎会 
昭和12年6月30日、丸の内会館にて、比律賓大亜細亜協会顧問、比島ヘラルド紙主筆モデスト・フアロラン氏の歓迎会を開催。
モデスト・フアロラン、松井石根、佐藤愛之助、犬塚惟重、稲原勝恰、江ノ沢、中谷武世
●橋本大佐外同人歓迎懇談会
昭和14年5月17日、麹町陶々亭にて、中支より帰還の橋本欣五郎大佐、比律賓大亜細亜協会顧問ピオ・デュラン氏、満洲建国大学中山優教授、比律賓大亜細亜協会望月音五郎氏、同今村栄吉氏、同浦上与一郎氏の歓迎を兼ね同人懇談会を開催。
橋本大佐が謝辞、出征感想を披歴、懇談。
橋本欣五郎、ピオ・デュラン、中山優、望月音五郎、今村栄吉、浦上与一郎、松井石根、村川堅固、加藤敬三郎、松井七夫、神田正種、松室孝良、芦沢敬策、橋本増吉、今岡十一郎、桜木俊一、福島喜三次、稲原勝恰、秋山昱禧、岩田愛之助、今牧嘉雄、神尾茂、西田卯八、高田鄰徳、多田武郎、瓜生喜三郎、今村忠助、影山知二、下中彌三郎、西原矩彦、中谷武世
●比律賓事情研究会
昭和15年1月24日、協会別室にて、来京中の木原次太郎比律賓マニラ駐在領事の歓迎の意を兼ね比律賓事情研究会を開催。
松井会頭が挨拶。木原領事が比律賓事情について報告。
木原次太郎、松井石根、菊池武夫、高木陸郎、橋本増吉、宅間重太郎、金ケ江清太郎、下中彌三郎、牧次郎、西原矩彦、中谷武世
●台湾大亜細亜協会 比島学生見学団歓迎会
昭和12年4月15日、鉄道ホテルにて、比島学生見学団歓迎会を開催。
竹藤幹事挨拶。比島側はヤナリオ氏、レーエス検事、ウンション嬢が謝辞・挨拶。余興場にて一行歓迎音楽舞踊の夕を催した。   
4月16日、比島学生見学団一行は内地見学のため出発。
●台湾大亜細亜協会 歓迎懇談会
昭和12年5月13日、鉄道ホテルにて、第五回台比水泳競技会出場の為来台した比島選手一行を迎え歓迎懇談会開催。
大沢幹事が挨拶。ナブレ・マリアノ比島代表が謝辞、種々懇談。望月音五郎比島大亜細亜協会会長が臨席。

愛知の慰安婦像展示について意見を述べます

愛知の慰安婦像展示について意見を述べます
 
批評の大前提
ある創作物、特に藝術と呼ばれるものに関して批評(批判や評価)、解説を行うということの大前提は、以下について判断するということです。
 ①その作者について →家族、生い立ち、民族、宗教、思想信条、性格
 ②その題材について →何を何の目的で
 ③その表現手法について→何をどの様に用い、動かして作ったか
 ④その時代背景について→どの様な思潮背景で、作品が何処に位置づけられるか
あり得ないですが、上記について反対意見がある方はしてください。(芸術について研究又は実践していない方の反論は無効ですのでご遠慮ください=悪意ではないです)

大前提における今次の問題
今、「慰安婦像設置の表現の自由」を言う人は③のみを強調し、あたかもそれ以外を自己の主張の正当化の為に無意識または故意に無視しています。
ですから、彼らの主張はとても公平・客観的なものとはいえず、一っ種の自己的なプロパガンダですから説得力はありません。。

私の愛知の今回の作品に対する試論
 試しに、慰安婦像が生まれた原因のほんの一部の一部だけを以下に論じてみます。
 慰安婦像は上記の①~④全般において明らかに朝鮮民族固有のスタイルを具有していますので、慰安婦像制作に至る、朝鮮民族の歴史的経緯で涵養された民族精神を語らなければ、その本質を知ることが不可能ということになります。そこで先ず①に関わる部分の歴史的に醸成された朝鮮民族の思考傾向から述べてみます。

 朝鮮民族が人種的にも文化的にも漢民族の影響下にありその辺境に位置していることは間違いがありません。
 良く知られているように、中国では中華思想、儒教的事大主義が社会秩序安定のための善であると信じられ強制されてきました。だからかの地では大人(上流階級)は小人(庶民)を打たなければらず、周辺異民族の名称にはケモノへんを付けなければならず、絵では大人は小人より大きく描かなければなりませんでした。社会制度だけでなく個人名も、本来あった民族固有名を捨て、中国風の趙、張、高、金、安、崔、李などの漢民族風の名前に完全に変えてしまいました。また、継続的に中国の貴人に自民族の美女を贈ったり、中国皇帝後宮の宦官になる男性を提供したというように民族のアイデンティティーを自ら喪失するように努力してきました。
 中国の辺境で獣扱いされないために事大主義・華夷思想の忠実な僕に徹しようとした半島人の事大主義・華夷思想は本家より更に硬直的で強烈となり国家・個人の処世、運営の基本となり国内では両班と庶民・奴隷間の強烈な差別、対外では、自分たちより中華から遠く中華圏に入らない日本を自己より下とする差別などを歴史的に維持しました。
 ところが日本が明治維新で変わり、古い宗主国の清朝と新しい宗主国候補のロシア帝国両方を戦いで破ると、事大主義に忠実に日本を次の宗主国としようとしました。しかし、日本は中国と違い、朝鮮人を日本人と同等の水準まで引き上げようとし、収奪するどころか全てを与えるよう努力しました。
 事大主義では存在どちらが上か下かが問題とされ平等というのは存在しませんから、朝鮮民族は日本人を名乗りアジア諸国、世界中で大きな顔ができますから喜びながらも、頭の理解・整理ができず混乱していました。
 ところが、日本が大戦で負け、米国に占領され国防力・憲法・言論の自由を奪われ世界中の白人国家の下になり、朝鮮人が併合時代馬鹿にしていた漢民族迄が戦勝国として大人の振舞いをするようになりましたので、新たな大人を探さなければならなくなりました。
 その結果が国民の半島南部のキリスト教への総改宗、米国への臣従、北部のソ連・中国への臣従などの無条件の西欧世界への服従でした。
 そしてそれと不可欠の一対なのが、日本を無理やり自分より下の地位に落とし込めることでした。
 日本が文化・道徳のない非人道の残虐な侵略者で、高邁な朝鮮から全てを奪ったという架空の仮説を設定し、自分が大人で日本が小人であるという体制を実現しなければなりませんでした。
 そのためには領土(竹島)も強奪し(大人であれば小人の物を強奪するのは当然だから)、日本語使用・日本の映画・文学の禁止(小人である日本の物は低劣で害悪だから)等々、実行で大小関係を明らかにしようと努力してきました。
 ところが、真実や実力の差は如何ともしがたく、国際的な日本の評価、地位は韓国・朝鮮より常に上で、相変わらず外国から見ると日本が大人で韓国・朝鮮が小人なので切歯扼腕してきました。
そんな彼らも冷静に日本を見た時、日本が中華皇帝、白人国王と肩を並べるどころか権威的に凌駕する天皇を頂き、白人の世界征服に一国のみで抗し、自己を顧みずアジアの諸国民の強化のために奮迅した事実を知り、自己の小さな精神的器では理解できず、日本精神が放つ崇高な光で眼がつぶれる思いがし、事実を直視できないでいます。
 そのような状況の中で「日本の評価を落とし自己の評価を上げる」「同時にゆすり・たかりで実利を得る」「支配層の庶民搾取体制を延命させる」「日本と韓国を仲たがいさせ社会主義者が漁夫の利を得る」等々一挙両得どころではない一挙五得位の妙案として採用されたのが「慰安婦像」なのです。

 以上、「慰安婦像」創出の民族情緒的動機についてかいつまんで述べてみました。
 
 そこで明らかになった事は、慰安婦像の創出源泉が、半島の方々が自己と日本を比べた場合に感じるあまりにも大きく埋めることのできない民度や歴史の差に基づく卑屈、ねたみ・そねみと、それを許さない中華思想の事大主義、華夷思想の両者の挟撃により生じた巨大熱量を持つ負的心理マグマにあることです。
 ですからそれは、人類普遍の価値を追求、視覚化させる芸術作品などではなく、単なる「民族差別・ヘイト」「当たり屋的ゆすり・たかり」「政治的プロパガンダ」の三要素が合体したものに過ぎないということです。
敷衍して言うならば、世界中に設置された、慰安婦像は人間の持つ「暗黒精神」の表象であるから、人を「不幸」へ誘う(いざなう)魔神像であり、その意味では全人類的問題であるともいえましょう。

結論
自己の利益の為に他者の名誉を棄損する捏造物語(=差別の根源)を視覚・聴覚伝達の手法で制作されたものは当然「芸術作品」ではありませんから、③の「表現」の自由云々をいうまえに、人権侵害、ヘイトの犯罪行為として展示禁止にするのは当然だということになります。

人間の自然な心の発意を殺すプロパガンダ作品をかざることは、作家に予定調和、忖度の創作姿勢を強制し、社会の多様性を貧しくさせます。
だからねつ造のプロパガンダは公的機関に展示してはならないのです。
私は、それを実地体験し、現在でもそれと対峙し批判している者です。

明戸隆浩
社会学者
1976年名古屋生まれ。東京大学大学院情報学環特任助教。AMSEA(東京大学・社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業)スタッフ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。

ブッダの祖先は、日本民族と同根の可能性が大きい。

ブッダの祖先は、日本民族と同根の可能性が大きい。
最古の仏経典でシャカの言葉をそのまま伝える「スッタニパータ」では自称、他称ともにシャカが「太陽の裔」であることが記されている。訳者の中村元氏の注では、釈迦族が太陽信仰族であること、日蓮などもそこにヒントを得ていること等が記されている。
私は更に一歩理解を進め、我が日本民族の太陽信仰と釈迦族の太陽信仰は同根であると考える。

それは、現在の歴史研究、遺伝子研究の成果とも合致する。
人類の祖先はアフリカを出てから東や北へ拡散し、ユーラシア大陸東端の 列島に至ったのが日本人だ。
知られているように、日本人の男系遺伝子には、最古形のD系統が多くある。AとBはアフリカから出なかったから、日本人の祖先の男系遺伝子D系統民族がアジアの南部東部の全ての先住民族である。※ちなみに漢民族の90%以上はO系統で遺伝子的にはむしろコーカソイドに近い。

人類はアフリカを出てイランの海岸沿いを通りインド亜大陸を横断し、タイの平原を東進し、スンダランド(氷河時代に存在した東南アジア大平原)を縦断し、大東亜平原(氷河時代に存在したユーラシア大陸東端の大平原=今の東シナ海、黄海、渤海に相当)の太平洋岸を北上し、大陸と一部地続き(当時朝鮮半島はまだ存在しない)の日本列島に到り、そこの一番東の茨城(日立)や鹿島に至った。
我々の祖先は、太陽信仰を持っていたので「日の出づる」方向を日々拝み祀るうちに、自然に東進したのである。
人類の太陽信仰の跡は各地に残されていて、例えば中国山東省地域の古代東夷文化など非常に多い。
つまり、釈迦族の遠い先祖と、我が大和民族の遠い先祖は、同じような文化・信仰を持っていたのである。
各地に残り、人種的に混雑し、文化的に発展したのが、現在の南アジア、東南アジアの各民族なのである。
日本民族は最初に東進した人類の遺伝子をそのまま残しているのである。
そう考えると、釈迦が急に身近に思えてくる。

以下、『スッタニパータ』の関連部分を抄出する。
(第三 大いなる章 一、出家 423)
姓に関しては〈太陽の裔〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

(第四 八つの詩句の章 十四、迅速 915)
〔問うていわく、――—〕「太陽の裔(すえ)である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、遠ざかり離れることと平安の境地とをおたずねします。修行者はどのように観じて、世の中の何ものをも執することなく、安らいに入るのですか?」

(第五 彼岸に至る道の章 十八、十六の学生の質問の結論 1128)
かれらは、太陽の裔である目ざめた人・眼ある者(ブッダ)に満足して、優れた智慧ある人(目ざめた人)のもとで清らかな行いを修めた。
以上

松井石根大将のお人柄が最古の仏典に説かれる理想の聖者の姿と重なる

松井石根大将の生涯を、見るたびに、その聖者にも思える人格に感銘を受ける。
私には、最古の仏典に帰される「聖者」の姿に松井石根大将が重なってしょうがない。
所謂A級戦犯として巣鴨で松井石根大将と同室だった思想家の大川周明は松井大将を評して「語黙動静、坐臥進退、凡そ将軍のように微塵も衒気なく、而も挙措自ら節度に叶って居る人は、絶無でなくとも希有である。「何を以て君子と知るや、交情また淡の如とし」私はこの淡如という形容詞は、将軍のために出来た言葉のように思った。私はかような風格の将軍と日夜起臥を偕にする欣びを、獄中で満喫しようとは夢にも思はなかった。」と記した。(大川周明著『安楽の門』⒖頁)大川周明も松井大将にならい毎朝夕「観音経」を読誦し、「ある夜、豁然と法悦の境地に入ることができた。私は初めて、雲霧をひらいて青天に白日を仰ぐが如く、観音の光明を得た」と書いている。
 以下、最も古く釈迦の言葉を直接伝えている部分が多いと言われる『スッタニパータ(経集)』〈『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳(岩波文庫)2010年第52刷版〉の一説を引き、松井石根大将のお人柄を偲んでみたい。

(第四 八つの詩句の章 十五、武器を執ること)
聖者は誠実であれ、傲慢でなく、偽りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪な貪りと慳み(ものおしみ)とを超えよ。(941)
安らぎを心掛ける人は、眠りとものぐさとふさぎ込む心とにうち勝て。怠惰を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。(942)
嘘をつくように引き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることもなく。ふるまえ。(943)
古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。(944)
わたくしは、(索引する者のことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。(945)
バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。彼は一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。(946)
世間における諸々の欲望を超え、また克服しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく思いこがれることもない。(948)
過去にあったもの(煩悩)を枯渇せしめよ。未来には何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものかをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。(949)
名称と形態について、〈わがものという思い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、――かれは実に世の中にあっても老いることがない。(950)
「これはわがものである」また「これは他人のものである」というような思いが何も存在しない人、――かれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。(951)
過酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である。――—動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。(952)
動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。彼はあくせくした営みから離れて、いたる所に安穏を見る。(953)
聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、優れた者のうちにいるとも言わない。彼は安らいに帰し、慳み(ものおしみ)を離れ、取ることもなく、捨てることもない。(954)
 ――—と師は説かれた。
以上、引用した。
プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修

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